Bar美術の扉
フランスの黄金時代
前章でスペインの黄金時代が終わりましたが、ではフランスの黄金時代はどのようにして築き上げられたのでしょうか?
フランスでは、百年戦争(ジャンヌ=ダルクが登場するフランスとイギリスの中世時代の戦争)以来王権が強化されてきましたが、ドイツから始まった宗教改革の波でカトリックとプロテスタントに引き裂かれたフランスでは40年近くにわたる内戦、ユグノー戦争が繰り広げられます。
1562年 - 1598年:ユグノー戦争:フランスのカトリックとプロテスタント(カルヴァン派の新教徒ユグノー)が休戦を挟んで8回40年近くにわたり戦った内戦
1589年:アンリ4世がフランス国王に即位し、ブルボン王朝が始まる(この王朝がフランス黄金時代を築く!)
1594年:プロテスタントであったアンリ4世は国内平定のためにカトリックに改宗
1598年:ナントの王令を発してユグノーにも信仰の自由を認め、これにより長い宗教戦争が終わり、フランスの王権は急速に強化された。
王位についたアンリ4世は世継ぎ問題を解決するため仮面夫婦だったマルグリットに高額の年金を払うことで離婚に同意させる
戦争続きだったフランスは金欠状態→アンリ4世はイタリアのフィレンツェの大富豪メディチ家出身のマリー・ド・メディシスと再婚
→マリーは国家予算とほぼ同額と言われるほど高額の持参金を持って嫁ぎ、フランスを救う
この大金持ちの王妃マリーが後年になって当時ヨーロッパ最大と言われた天才ルーベンスに注文して描かせた連作が、「マリー・ド・メディシスの生涯」という全21点の自画自讃の巨大絵画のシリーズ作品です。
フランスのルーヴル美術館に行ったことがある人はきっと記憶にあるはず、大画面の絵が何枚も飾られていた特殊な空気の部屋があったことに。
「マリーのマルセイユ上陸」ルーベンス

1610年:アンリ4世が暗殺され、息子のルイ13世が新王となる
○枢機卿であり宰相でもある事実上の独裁者リシュリューが貴族やプロテスタントの力を抑え、王権を強化してフランスの絶対王政の基礎を築いた。
1618年:三十年戦争(ドイツを中心に欧州各国が参戦し最後にして最大の宗教戦争、
当初は旧教徒と新教徒との対立軸であったがスペイン=オーストリアのハプスブルク家とフランスのブルボン家という国際的な対立軸に転換)
1638年:太陽王ルイ14世生誕(父親はマザラン説あり)
1640年頃:「大工聖ヨセフ」ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

🎨ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが光の効果を巧みに使い、明暗の対比を強調して、感動的な「大工聖ヨセフ」などの名作を残しました。
しかしフランスの17世紀美術は“バロック”というよりも、古典主義をよりどころにした、壮大で調和のとれた構成に特徴があります。
○イタリア人でフランスに帰化し枢機卿になり実質上の宰相マザランはフロンドの乱を鎮圧してブルボン王朝の権勢を高め、フランス絶対王政の基礎を確立させた。
1648年:ウェストファリア条約(ネーデルラント(オランダ)共和国とスイスの独立が国際的に公認etc)
同年:王立美術彫刻アカデミーがフランスで設立し、芸術の基準とされたのは古代、ルネサンスのラファエロ、そしてこの時代のバロック画家ニコラ・プッサンです。
「アルカディアの牧人たち」ニコラ・プッサン(制作は1638-40年頃)

1659年:ピレネー条約:戦後処理の和解条項→フランスは敗者スペインから王女マリア・テレサをもらう→太陽王ルイ14世の妃となる
○事実上の宰相格となった財務・軍事担当のコルベールの手腕もあり、王立マニュファクチャーを次々設立、輸入を制限して国内産業を保護、輸出によって大量の外貨を蓄積、徴兵制を創設して軍を強化、海軍までヨーロッパイチとなる
またルイ14世は芸術の大パトロンとなり、数多くの芸術アカデミーや科学アカデミーが誕生し、フランス文化は絶頂期を迎える。
1682年:ヴェルサイユ宮殿に遷都(築城工事は30年以上かかり未完のまま遷都)

