
美術の扉
あらすじ
①原始〜古代美術
美術の歴史のはじまりは、紀元前3万1000年前後と推測されていますが、西洋絵画の歴史の幕開けは、14世紀から始まるルネサンスからです。
それ以前の美術は、絵画もありましたが彫刻や建築の方が優れており、有名な世界遺産にもなっています。
これから原始時代からどのような流れで西洋美術が誕生していったのか説明していきます。

【原始の美術】
現在、私たちが見ることのできる最も古い美術作品は、フランスのショーヴェ洞窟の壁画です。
サイや野牛(ビソン)をはじめ様々な動物が、鉱物の顔料や炭などを材料として、生き生きと描かれています。
これらが描かれたのは紀元前3万1000年前後と推測され、氷河期の終わりの旧石器時代でした。
この時代の人たちは狩りをして生活しており、獲物がない時はお腹を空かせ、明日はたくさん獲物を捕まえることができるように祈りました。
そのような願いが、これらの絵を描かせたのではないかと言われています。
祈りを形にした、人類最初の美術の誕生です。
そしてこの後、人類最初の文明が生まれた地域で、美術も生まれ、そして発展していきます。

今から約5500年前、人類最初の文明であるメソポタミア文明とエジプト文明が生まれました。
そして生まれたのが【メソポタミア美術】と【エジプト美術】です。
そしてその約2500年後に生まれたのが西洋美術の祖とも言える【ギリシア美術】です。

そして次に新しく生まれたのが【ローマ美術】になります。
紀元前753年ローマ帝国が誕生し、紀元前1世紀末までに全地中海を統一します。
ローマ人は建築や土木技術に優れ、コロッセオや水道橋、凱旋門などを都市計画とともに造築します。
これらは現在のイタリアの有名な世界遺産になっています。
しかし美術に関しては先住民族であるエトルリア人の美術をもとにギリシア美術の模倣そして継承をしました。

つまりローマ美術とは、ギリシア美術の模倣と昔からイタリア半島にあったエトルリア人の美術から生まれたとされます。

そしてこのローマ帝国時代にキリスト教が誕生し、キリスト教徒の美術である【初期キリスト教美術】が生まれます。

しかしキリスト教は、キリストが絶対の神であり、ローマ皇帝をも認めないという決まりがあったため、帝国からは迫害を受けていました。
しかしキリスト教徒の美術であるこの【初期キリスト教美術】は迫害を避けながらひっそりと、確実に根を下ろしていきます。
キリスト教徒が地下に造った墓であるカタコンベの壁画には、弾圧者たちの目をごまかすため、その教えが間接的に描かれています。
そしてキリスト教迫害時代を経て、313年のキリスト教公認ミラノ勅令によりキリスト教公認時代へ入ることで、キリスト教は徐々にローマ帝国内に広がっていきます。
ギリシアやローマで重要視された人間の肉体美や現世的な美術に代わり、救い主や来世的なものを求める美術が生まれました。

313年のミラノ勅令により公認されたキリスト教はヨーロッパ各地に広がります。
その後の「ゲルマン民族の大移動」などにより政情不安に陥ったローマ帝国は、395年に東と西に分裂しました。
そして東ローマ帝国と西ローマ帝国が誕生します。
そして【初期キリスト教美術】も、東と西に分かれて発展していきます。

東ローマ帝国ではローマ帝国時代の現在のイスタンブールへの遷都を機に、【初期キリスト教美術】を母体として、それに東方の文化を採り入れた【ビザンティン美術】が生まれ、(分裂を機に、)これは1453年東ローマ帝国がオスマン・トルコ帝国に滅ぼされまで1000年以上続き、
帝国滅亡後もこのビザンティン美術 の伝統はロシアのようなギリシア正教の盛んな地域に残ります。

そして西ローマ帝国は、1000年以上続いた東ローマ帝国とは異なり、81年後の476年に滅亡します。
そしてかつて暗黒時代と言われた中世時代へ突入していきます。

ここまでの流れを一旦まとめます。

ここで補足です。
西ローマ帝国はその後フランク王国となり、そしてその後現在のイタリア、フランス、ドイツとなります。