Bar美術の扉
ゴヤの闇

あなたはゴヤという画家をご存知ですか?
ゴヤはスペインの王室タペストリー工場の下絵描きから出発して主席宮廷画家となり、ロココ風の華麗な色彩と流麗なタッチの絵画を描いていました。
しかし1792年に大病を患い聴覚を失うと、狂気や魔女などで人間のグロテスクな面を描くようになります。
ナポレオン軍による6年間の戦争、その後の内戦を経験し戦争の悲惨さを告発した版画集「戦争の惨禍」や、晩年幽閉のような状態で過ごした「聾者の家」の壁には、人間の残酷さや狂気を鋭く見つめた「黒い絵」シリーズが描かれています。
主観的な情熱を作品にしたゴヤはロマン主義の先駆者とされます。
ゴヤが描いた作品を年代順に追って見ていきましょう。

この絵は聴覚を失う前の1785年に制作した祭壇画「受胎告知」です。
受胎告知というテーマは数多くの画家達が描いておりそれぞれの色が出ていて非常に 面白いです。
ゴヤが若かりし日に描いた受胎告知は、とても優しく温かくそしてどこか寂しさを感じてしまう繊細な表現に思えます。


こちらは「裸のマハ」と「着衣のマハ」という作品で、マハとは「小粋な女(小粋なマドリード娘)」という意味のスペイン語でありモデルの女性が誰であるかゴヤは明らかにしていませんが、2つの説があります。
1つはゴヤが恋したアルバ公爵夫人を描いたとする説で、もう1つは作品の制作依頼者ゴドイの愛人であったペピータを描いたとする説です。

こちらは「カルロス4世家族像」で、首席宮廷画家ゴヤによるスペイン・ブルボン家4代目、カルロス4世とその親族達の姿です。
天才の筆が図らずもえぐり出す、堕落した宮廷、メッキの剥げた権威、王朝の終わりの予感…。
国王カルロス4世は政治に興味がなく、政務は全て王妃の寵愛によって軍人から宰相に成り上がったゴドイが行っていました。
※ゴドイは1つ前のマハの絵のモデル説の女性ペピータの愛人です😅
この絵の真ん中で潰れた蟇蛙のような顔できんきらきんのドレスを着て立っているのが王妃マリア・ルイサです。既に子供を14人も産んでいてそのうちの2人ー両脇にいる末娘と末息子ーは王とではなく、はるか年下の愛人ゴドイとの間にできた子と噂されていました。
ゴヤは王妃の姿を品位のかけらもない容貌が醜い女としてありのままを写し出しました。これまでに何枚も王妃の肖像を描いていますがこれほど容赦ない表現は初めてで、これが彼女を描いた最後となります。
そしてこの後ナポレオン軍のスペイン侵攻を目の当たりにして、人間の内面を赤裸々に暴いた作品を描き始めます。

この絵のタイトルは「1808年5月3日、マドリード」で、プリンシペ・ピオの丘での銃殺という別名もあります。
この作品はナポレオン軍によるスペイン占領に対する反乱が起きた際の様子を描いたもので、不気味な光に照らされて今まさに処刑される瞬間が描かれています。白い服を着た男が両手を大きく広げている姿は、十字架上のイエス・キリストをモデルにしたものだといわれています。
右側には銃を構えた兵士たちが横一列に並んでおり、無慈悲に処刑を行っています。兵士たちの顔は見えず、無機質で機械的な感じを受けます。背景には夜の暗闇と都市のシルエットが広がり、この場面の陰惨さを強調しています。
この作品のロマン主義ならではのドラマチックな表現は、戦争の恐怖を人に伝える革新的な技法を確立しており、人々の痛みと苦しみをリアルに描くことで観る者に深い感動を与えています。
そして後年、マネとピカソはこの絵に影響されて同じ構図の絵を描きました。


ピカソ『朝鮮の虐殺』1951年
マネ『皇帝マキシミリアンの処刑』1868年
1819年、ゴヤはマドリード郊外に「聾の家」と通称される別荘を購入し、1820年から1823年にかけてこの「聾の家」のサロンや食堂を飾るために描かれた14枚の壁画群が今日「黒い絵」と通称されるもので、その代表作がこちら「我が子を食らうサトゥルヌス」です。

この衝撃的な絵は、ローマ神話に登場するサトゥルヌス(ギリシア神話のクロノス)が将来自分の子に殺されるという予言に恐れを抱き5人の子を次々に呑み込んでいったという伝承をモチーフにしています。自己の破滅に対する恐怖から狂気に取り憑かれ、伝承のように丸呑みするのではなく自分の子を頭からかじって食い殺す凶行に及ぶ様子がリアリティをもって描かれており、一度見たら忘れられないでしょう。
この絵は後世に黒塗り修正されており、オリジナルの状態ではサトゥルヌスの勃起した陰茎が描かれていたと言われています。