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Bar美術の扉
フランス革命
一つ前の章のフランスのロココ美術からはヴェルサイユ宮殿の王侯貴族たちの贅沢三昧で甘美な快楽にふけっている様子が垣間見えました。
しかしルイ16世とマリー・アントワネットの代には表向きは変わらず贅沢この上ない華やかなヴェルサイユ宮殿ですが、裏側の財政状況は破綻寸前。
長年の国民の不満が募り、遂にフランス革命がおき絶対王政が倒され、国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットはギロチンで首をはねられ処刑されます。
年表(編集中)
1789年7月14日:バスティーユ牢獄の襲撃→フランス革命の始まり
1789年–1799年:フランス革命
◯第一共和政
右ジロンド派
左ジャコバン派を率い恐怖政治を敷いたロベスピエール→テルミドール反動でギロチン台へ送られる
(ダヴィッドはかつてのジャコバン党員)
◯第一帝政:ナポレオンが皇帝として戴冠→エルバ島へ流される
◯王政復古:ルイ18世
◯ナポレオンの百日天下→セント・ヘレナ島へ流される
◯再び王政復古:ルイ18世→シャルル10世
1830年:七月革命(栄光の三日間)→ブルボンの最後の息の根を止める→民主的王政ルイ・フィリップ1世が誕生
1848年:二月革命→ルイ・フィリップ1世は追放され、完全に王政は終わる
ナポレオンの甥が選挙で大統領になりその後皇帝ナポレオン3世になる
1870年:完全に共和政を取り戻す
ナポレオンの登場

この有名な作品「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」は皇帝になる前にダヴィッドに描かせたナポレオンのイメージ作りのための作品で、この肖像画は誰もが知る英雄ナポレオンのイメージとして定着しました。
このイメージが皇帝になる際の国民投票で有利に働かなかったわけがありません。
1804年5月、国民投票によって新たにフランスの皇帝に選ばれたのが、ナポレオン・ボナパルトです。
ナポレオンは、革命後のフランスの混乱を収め、軍事独裁政権を樹立します。
ナポレオンは「国王」ではなく古代ローマ将軍と同じ「皇帝」という称号を使いましたが、これはナポレオンが古代ローマを強く意識していたからです。
ナポレオンが皇帝に即位すると、ダヴィッドは皇帝主席画家の地位を獲得します。

こちらのダヴィッドが描いた「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」も、ナポレオンの権力を示した印象的な作品です。
この作品では1804年12月2日にパリのノートルダム大聖堂で執り行われた戴冠式において、ローマ教皇を前に、ナポレオンがジョゼフィーヌに冠を授ける場面を描いています。
本来であればローマ教皇が外国に赴き戴冠式を行うなどありえないことであり、ナポレオンが教皇のいるローマに出向くべきですが、ナポレオンはローマ教皇をパリまで呼び寄せたのでした。
つまりナポレオンの権力を知らしめる絶好の大イベントをダヴィッドに描かせたのです。
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